@についてまず、男性がムスリム(イスラムの教徒のこと)で、女性がムスリムでない場合、女性は改宗を迫られます。男性がムスリムではなく、女性がムスリムである場合は、結婚そのものが認められません。それを無視して結婚した場合、最悪の場合、姦通の罪に問われることになります。Aについて基本的にムスリムであることをやめる場合、改宗をしようとしても、それは認められません。脱教といわれるのですが、この場合、イスラム法が適用される国では、死刑に処せられます。Bについてこの回答は少々長くなるのでお付き合いを。キリスト教では、聖典とされているのは、旧約聖書と新約聖書ですよね。この、「旧約」「新約」という言葉は、「旧(ふる)い契約」「新しい契約」という意味です。「旧い契約」とは、モーゼが神と交わした契約のことで、イスラエルの民を奴隷になっていたエジプトから脱出させ、約束の地カナンを与えられ、人間は10の戒律を神から与えられた契約です。しかし、イスラエルの民はバビロニア捕囚によって、国を失います。そして、ローマ帝国の支配下に置かれることになりました。その反省として、戒律を厳格に守る意識が生まれてきます。そのため、イスラエルの民の中で、軋轢でてきたのです。その中、イエスキリストが登場します。ちなみに、イエスというのは、広く使われる人の名で、キリストというのは油を注がれた者、つまり救世主という意味があります。イエスという人物がキリストであり、そのイエスの言行や奇跡が真実であると信じることによって、救済されると考えられるようになったのが、キリスト教であります。(かなり乱暴な説明ですが・・・かいつまんで話すとそうなります)つまり、人間がキリストの奇跡を信じるというのが救済の条件であり、新しい契約であるとされているのです。そのため、三位一体、父たる神とイエスは別の位相を持ちながら、同一の神格である(つまり、イエスは肉体を持ちながら人間ではない)と考えること、そして、救世主が現れた以上、さらなる新しい契約は存在しないとされているのです。一方で、イスラムも旧約聖書を出発点とし、神との契約によって救済される宗教であります。しかし、キリスト教では、事実的に戒律が撤廃されてしまったに近い状態になりました。(これも乱暴な説明ですが・・・)そのため、イスラムでは、戒律を重視するようになりました。ムスリムであるための条件として、六信五行が規範として存在しています。イスラムでは、基本的にユダヤ教でもキリスト教でも同じ経典(旧約聖書)の民として、敵視するどころか、寛容な態度をとります。(ただし、ユダヤ教徒やキリスト教徒は救われないと考えられている。)さらに、イスラムの開祖ムハンマドは預言者(神の言葉を預かる者)であり、イエスも同じく預言者であると考えられています。そのため、キリスト教徒にとっては、イエスの神性を否定する思想であり、また、キリスト(救世主)が現れ、さらなる新しい契約が存在しえないと考えているため、イスラムの思想はイエスキリストを冒涜するものと考えられているのであります。Cについて浄土宗も浄土真宗も仏教です。両者とも阿弥陀如来を本尊としておりますが、その阿弥陀如来の教えを説いたのがお釈迦様であるわけです。仏教というと、お釈迦様のみを信ずると考えてしまう方もいらっしゃいますが、大乗仏教では数多くの仏様がいらっしゃると考えられております。仏教であるか、否かということでいえば、その教えが三法印もしくは四法印に基づく教えであることが必要です。三法印とは、諸行無常、諸行無我、涅槃寂静であり、四法印はこれに一切皆苦の思想が加わります。これらは、お釈迦様が説き明かした思想であり、仏様が違っていても、これに基づいた教えが説かれているわけであります。例えば、真言宗では大日如来、華厳宗では盧舎那仏が本尊でありますけど、これらも全てお釈迦様がその教えを人々に伝えたとしております。Dについて確かに、日本人は無宗教、無神論を標榜されている方が多いですが、私はそれとは違い、宗教に対して不感症になっていると思っています。字数制限がありますので、ここまでにしたいと思います。
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